豆知識>もやし生産に関するデータベース |
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もやしの年間生産量
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(単位:トン) |
年次 |
生産量 |
年次 |
生産量 |
昭和49年 |
229,000 |
平成4年 |
385,000 |
昭和50年 |
233,000 |
平成5年 |
407,000 |
昭和51年 |
294,000 |
平成6年 |
391,000 |
昭和52年 |
309,000 |
平成7年 |
395,000 |
昭和53年 |
322,000 |
平成8年 |
378,000 |
昭和54年 |
307,000 |
平成9年 |
388,000 |
昭和55年 |
321,000 |
平成10年 |
392,000 |
昭和56年 |
346,000 |
平成11年 |
389,000 |
昭和57年 |
394,000 |
平成12年 |
364,000 |
昭和58年 |
370,000 |
平成13年 |
375,000 |
昭和59年 |
374,000 |
平成14年 |
381,000 |
昭和60年 |
363,000 |
平成15年 |
378,000 |
昭和61年 |
354,000 |
平成16年 |
385,000 |
昭和62年 |
343,000 |
平成17年 |
394,000 |
昭和63年 |
355,000 |
平成18年 |
369,000 |
平成元年 |
361,000 |
平成19年 |
358,000 |
平成2年 |
377,000 |
平成20年 |
383,000 |
平成3年 |
387,000 |
平成21年 |
446,000 |
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農林水産省:食糧需給表より |
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もやしの現代史
第二次世界大戦後、日本各地で盛んに栽培されるようになった もやし(緑豆もやし) ですが、はじめはごく小規模な生産工場(というよりも「もやし屋さん」)が、それぞれの地域で生産と販売をしている状況でした。このような小規模生産業者は一時1,000社以上あったと言われています。
昭和40年代の「味噌ラーメンブーム」で、もやしの認知度は更に高まり、消費も大幅に拡大されました。 また、スーパーマーケットの誕生は、それまで八百屋さんが店頭で目方売りしていたもやしを小袋包装での販売へと姿を変えさせることとなりました。これにより大量生産と機械化が可能となり、生産規模の大きなメーカーが出来始めたのもこの頃です。 道路網の整備や冷蔵配送といった物流の発達と、都会での育成環境の確保が難しくなったことなどにより、小さなもやし屋さんは生産を止めて中卸業に転業するようになり、メーカーの生産規模は更に拡大しました。 現在、もやしメーカーは全国で約150社ほどになっています。 |
日本のもやし生産技術
日本のもやしは、清浄な水と先端技術を用いた温度や環境のコントロールによって育成されており、その生産管理技術は世界トップレベルにあります。 |
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